Should we eliminate the human ability to feel pain?
by George Dvorsky
昨日のDaily Explainerでは、痛みについて、なぜそれが存在するのか、それがどのように機能するのか、そして、科学者がどのようにその効果を定量化しようとしているのかについて話した。痛みは明らかに進化的に重要な目的を果たしてきたが、依然としてそれが必要であるということには、誰もが納得しているわけではない。将来を見据えた思考家たちの数の増加が示唆するのは、それを取り除く必要があるということ。そして、これを行うための技術的ノウハウを手に入られるだろうということだ。しかし、我々はそのようなラディカルな実験に着手することを選択する必要があるかどうか、リスクや我々が失う危険性がある人間的側面に細心の注意を払う必要がある。
いわゆる「痛み根絶主義者」の視点をよりよく理解するために、哲学者であり倫理学者のデイヴィッド・ピアース(David Pearce)に話を聞いた。彼は、1995年に影響のあるオンラインのマニフェストであるヘドニスト的使命(The Hedonistic Imperative)を執筆した。それは、生物世界の苦しみを廃絶するために、バイオテクノロジーの利用を促すものである。
ピアースと話をした後、そのような性質を取り除くために必要なテクノロジーは、もうすぐ我々の手中になるだろうことが明らかになった。しかし、ピアースが認めたように、痛みのない世界は必ずしも完璧な世界を意味するものではなく、単により心地よく生きられる世界でしかないだろうことだ。
デイヴィッド、痛みのない人類を作る事に関する倫理に入る前に、そのようなプロジェクトの技術的な実行可能性を検討することは重要です。 人間の経験から、身体的な痛みを取り除いてしまうことは本当に可能なのでしょうか?
簡単に言えば、イエスです。
技術的には、身体的な痛みは人間からも、人間以外のものからも同様に、追放できる可能性があります。今日、何億人もの人々の生活は、慢性的な痛みに悩まされています。ありがたいことに、我々のほとんどは、通常、痛みのない状態にあります。しかし、人生のある時点において、悪夢のような激しさの痛みが襲い掛かることがあります。その時になって、その経験が達しうる酷さに衝撃を受けるのです。
しかし、エンジニアリングの観点からは、痛みは必要ありません。非生物的ロボットは、その厄介な「生々しい感じ」に苦むことは決してありません。シリコンロボットは、わずかな不快感もなしに、有害な刺激に適応して反応するようにプログラムすることができます。よって我々は、痛覚の機能と痛みの経験が別であると理解しています。
実際、先天的に無痛症で生まれた珍しい人たちは、生涯を通じて認知的な痛みを経験することはありません。先天性無痛症の問題は、認知的な痛みが、通常、ヒトやヒトでない動物において、シグナルの役割を果たしていることです。よって、先天性無痛症で生まれた人々は、あらゆる種類の健康問題のリスクにさらされています。彼らは慎重に保護された一生を送らなければなりません。彼らはアフリカのサバンナで生き残ることはできなかったでしょう。したがって、我々が直面する課題は、物理的な痛みから不快な生々しい感覚を差し引いた、機能的な情報伝達の役割を再現する方法を見出すことです。
どれくらい早くこれが行えるようになるのでしょうか?
そうですね。今すぐにでも始められるかもしれません。 痛みや痛みの閾値は、いくつかの異なる遺伝子によって調節されています。それらのうちの1つ、SCN9Aに焦点を当ててみましょう
SCN9A遺伝子は、痛みを感知する侵害受容器の末端に存在するNav1.7ナトリウムイオンチャネルをコードします。SCN9A遺伝子には多数の変異対立遺伝子があります。SCN9A遺伝子のナンセンスな変異は、痛みを感じる能力を廃絶します。他の対立遺伝子は、異常に高い痛みの感受性や異常に低い痛みの感受性を与えます。
したがって、将来の親には選択肢があります。現在と同じように、神や母なる自然に信頼を託し、遺伝的ルーレットを続けるか、あるいはその代わりに、世界の苦しみの負担を軽減することについて倫理的に真剣に考えているなら、着床前遺伝子診断(PGD)を利用して、未来の子どもたちのためにSCN9A遺伝子の良性の「低痛」変異体を選択することもできます。用心さから、認知的な痛みの能力を完全に廃絶すべきではないと考えられます。しかし、ゲノムに「低痛」対立遺伝子を選択することで、痛みが子供の生活の質に与える影響をごくわずかなものにすることができるのです。
中断:これは優生学のように聞こえます。子供たちに、これらの遺伝的実験をするということにはなりませんか?
すべての子供は遺伝子実験です。生命を創造しようとするなら、少なくとも苦しみを創造しないことを徹底すべきです。
あなたは正しくもあります - 進行途中の生殖革命への批判者は優生学の亡霊を提起するでしょう。悲観主義者は 「デザイナーベイビー」と貧しい人々に対する差別について警告します。彼らの心配の一部には十分な根拠があるかもしれません。潜在的な落とし穴はたくさんあります。 しかし、PGDはデザイナーベイビーの作成を必然的に伴うものではないと強調する価値はあります。PGDは、自然が 「自然に」投げ込んだものをスクリーニングするだけです。真のデザイナー接合体は確かにその先の選択肢になるでしょう。しかし、痛みの軽減に必須なものではありません。
さらに言えば、PGDの最大利用者は、先進国の将来的な親ではありません。その最大の利用者は、女の子の持つという不幸を防ごうと必死なインド人や中国人です。間違いなく、我々の倫理的な優先事項は歪められています。
今のところ、生活から痛みを排除しようとしている成人は、「鎮痛薬」と麻酔薬に頼ることになっています。いわゆる鎮痛薬は弱いものです。強力なオピオイド鎮痛剤は、耐性および依存性に関する、よく知れた問題を抱えています。「痛みを管理する手助けをする」痛みクリニックは存在するが、しかし、遺伝子編集技術の発展によって、成熟した人間が自身の遺伝的ソースコードを編集することがまもなく可能になるでしょう。我々は、将来の子どもたちの痛みの閾値だけでなく、自分の痛みの閾値をも調節することが可能になるのです。
ユーザーフレンドリーなゲノムオーサリングツールやゲノム編集ツールの出現は、潜在的に大きな力を発揮します。我々は、自身の遺伝的運命を支配するために、分子生物学者になる必要はなくなるのです。現実的には、ホームユーザーのための常染色体遺伝子編集ツールは数十年先になるでしょう。しかし、地球温暖化に立ち向かうために百年規模の計画が必要なように、身体的痛みの惨状に取り組むためにも、百年計画が必要だろうと思うのです。
研究によると、痛みを感じる能力のない人は、正常に機能している人に比べて寿命が短くなっています。明らかに痛みには命を守る目的があります。よって、それがない状態で、どのように傷つけられていたり、自分自身を傷つけているということがわかるようになるのでしょうか?
誤解のないように言うと、最小限の痛みを持つポストゲノム世界は、苦痛のない世界と同じではありません。しかし、身体的な痛みを完全に取り除きたいとして、それを廃絶しても、先天性無痛症のためのコットンの防具が必ず必要になるわけではありません。代わりに、ロバストで、健康的で、痛みのない生活の体制は、技術的に実現可能なのです。
完全な痛みへの代替として、考慮する価値のある2つの長期的な選択肢があります。1つ目の選択肢は、今日存在する痛みのシグナリングの役割を、身体的ウェルビーイングの情報伝達で置き換え、その身体的ウェルビーイングの下降が潜在的な有害刺激を通知するようにすることです。直感的には、単なるウェルビーイングの下降は、行動を促すのに十分なものにならないように思われます。しかし、経験的には、これはそうでもないようです。愛を育んでいる2人の人を比較してみましょう。性行為のいくつかの側面は他のものよりも報酬的です。しかし、センシティブな恋人たちは、その経験の楽しみを減少させることなく、快楽の上がり下がりに対応し適応することができます。原理的には、この教訓は日常生活に転用することができます。
痛みの問題に対処するためのより根本的な選択は、有害な刺激に対する快楽-痛み軸のシグナリングの役割を完全に置き換えることです。これは、現在痛覚が持つ役割を、スマートなプロテーゼ(人工器官)に委ねることができるからです。スマートセンサーとスマートプロテーゼが装備されていれば、例えば、熱いストーブに近づけてうっかり自分を傷ける前に、痛みがなくとも自動的に手をひっこめることができます。おそらく、このような技術には、身体的自律性が失われた感覚を避けるために、手動操作が標準装備されることになるでしょう。
そのような強化技術は、我々を「サイボーグ」にすることを約束します。 サイボーグ化の見通しは誰にとっても魅力的であるとは限りません。あなたの身体ソフトウェアは、ライセンス化されているか、自分で所有されるだろうか?あなたの体がハッキングされたらどうするだろう?潜在的な可能性があるにもかかわらず、バイオ保守的批判家は、次に自分が痛みに悶えることになったとき、痛みのない世界への反対を再考したくなるかもしれない。いずれにしても、今世紀後半には、あらゆる種類の認知的な痛みの経験は、オプションとなるということが要点です。倫理的に言えば自由に選べるようになるべきでしょう。
痛みの能力を失うことには、他にもトレードオフがあるはずです。身体的な痛みは、人格形成や、我々をタフにし、より優れたものにしたり、さらにはより共感的な人間にするなどの、他の種類の目的に役立っているのではないでしょうか?
バイオ保守主義者は、しばしばニーチェ(Nietzsche)の言葉を引用します。「私を押し潰さないものは、私をより強くする」。しかし、痛みは、しばしば肉体的に、感情的、倫理的に、人々を押し潰します。慢性的な制御されない痛みは、犠牲者を疲れさせ、鬱状態にし、弱くしてしまう傾向にあります。確かに、身体的痛みに比較的抵抗力のある人もいます。例えば、高いテストステロン機能は、人を「強く」より「男らしく」、より回復的にし、より多くの身体的痛みの刺激に対処できるようにします。しかし、このような強さは必ずしもその人をより共感的で優れた人にするとは限りません。サマセット・モーム(Somerset Maugham)の言葉を引用すれば、「苦しみが人格を高尚にするというのは事実ではない;幸福は時にそれをするが、苦しみは大抵の場合、人を矮小で執念的にする」
もちろん、苦しみは必ずしも弱体化し惨めにするものではありません。アナロジーで言うと、情緒的に落ち込んでいる人は、絶望が世界の恐怖への唯一の適切な反応だと感じるかもしれません。しかし、世界の恐怖への解決策は、我々全員が落ち込んでしまうことではありません。むしろそれは鬱病の生物学的性質に取り組むことです。同様に、身体的痛みの恐怖に対する解決策は、苦しんでいる人たちへの同情によって、自分自身に鞭打つことではありません。解決策は、苦しみの生物学的根源に取り組むことなのです。
予期せぬ副作用の可能性もあります。痛みを経験しなければ、他者を肉体的に傷つけたり、強要したりする傾向が強まるのではないでしょうか?
身体的な痛みを課すという術は、虐待的な政権によって - そして虐待的な親によって - 脆弱な人を強要するために世界中で用いられています。したがって、痛みへの免疫付与は、脆弱性の増加ではなく、強制に対する抵抗を促進する可能性がより高いでしょう。しかし、身体的な痛みの生物的性質を取り除くことは、完璧な世界のためのユートピア的青写真ではなく、痛みから自由になる手術の開発は、身体的病のための万能薬以上のものなのです。
むしろ、不本意な痛みのない世界の創造は、文明社会の前提条件なのです。
Inset images via 1: David Pearce | 2:nobeastsofierce/shutterstock | 3:Vladimir/shutterstock.
https://io9.gizmodo.com/5946914/should-we-eliminate-the-human-ability-to-feel-pain
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