【認知・道徳】『自由意志なき人生』Sam Harris 2012/9/9

6207838575_4d2d68933e_o-crop_762_479_60_s@1x.jpg
Photo by h.koppdelaney

自由意志に関する私の立場に対しての最も一般的な反対は、それを受け入れてしまったら心理的にも社会的にも恐ろしいことになってしまうというものだ。これは多くの宗教信仰者が無神論に対して行うようなおかしな返答である。彼らは、神への信仰がなければ人は他者に対して善良でなくなってしまうと断言する。しかし、この主張に問題があるからと言って、我々が特定の信念を抱くことの実践的な影響を気にしなくて良いということにはならない。

誘惑に抗うのは無意味だとか、善悪に違いはないなどと言って、自由意志の不在を自分の好き放題するための口実に利用とする者たちがいることは容易に想像できる。これは状況を誤解しているケースであるが、起こりうるものだ。人間の精神に関する科学的知識を考慮し、どのように子供を育てるべきかという疑問もある。自由意志の幻想性についての授業を小学校のカリキュラムに組み込むべきではないだろう。

私の見方は、自由意志があろうがなかろうが、我々には苦痛と幸福の区別ができるため、善悪に関する事実は自由意志の存在には依らないというものだ。自由意志があろうがなかろうが、子供を殺して喜びに浸るサイコパスは、子供を助けることを喜びとする小児外科医とは異なる存在である。自由意志に関する事実がどうであれ、そのような区別は取り違えようのないものであり、考慮すべき価値が十分にあるものだ。

自由意志は何らかの形で善良さが明白なものになるために必要なものだろうか?例えば、どのようにしたら人は小児外科医になれるだろう?まずあなたは、正常な神経系を持って生まれ、適切な教育を受ける必要がある。申し訳ないがそこに自由はない。あなたにはその仕事をこなす才能も必要だし、ラグビーで頭を潰さないようにする必要もある。言うまでもなく、血を見て気を失うような人ではダメだ。幸運も必要だろう。ある時点で、外科医になることを決断しなければならない。あなたはこの望みの意識的要因になれるだろうか?あなたは、医者のキャリアとは両立できない、他にやりたい全てのことを諦める決断の責任者になれるだろうか?出来ないのだ。仮に外科医になれたとしても、あなたはただある日、外科用メスを手に持ち、このラインに沿ってあなたを導くすべての遺伝的要因および環境的要因の合流点に立っている自分自身を発見するだけなのである。これらの事象のどれ一つとして、あなた自身の望みや能力や結果的行動の究極的要因として、意識的主体者としてのあなたを必要とはしない。そして言うまでもなく、あなたがサイコパスに生まれなかったことに関しても、あなたは一切自分の手柄とすることができない。

もちろん、私はあなたがたまたまで外科医になれるとは言ってない。何年もかかり、多くのことを計画的に、適切なやり方で行う必要がある。外科医になることは努力を必要とする。だが、その努力をあなたの手柄とすることができるだろうか?別の見方をすれば、これまで私に外科医になりたいという思いが湧かなかったことに、私は責任を持てるだろうか?私にこの思いが湧かないことについて誰を責められるだろう?そしてもし明日突然、外科医になりたいという思いが湧いてきて、他の専門的な目標をすべて投げ捨ててまで医学部に入学するほど強いものに変わっていたどうだろう?私の人生を経験しているこの私が、これらの展開の真の起因になりうるだろうか?思考、意図、決断など、全ての意識的努力は、私自身の無意識的な事象によって引き起こされる。これのどこに自由があるというのだろう?

宇宙の働きを責められないとしたら、悪人は彼らの行為にどうやって責任を負えるだろう?最も根源的な意味では、彼らには出来ないのだ。だか、実践的な意味においては、彼らは責任を負わなければならない。私はここに矛盾があるとは思わない。実際私は、人の振る舞いの深い要因を考慮に入れることは、悪に対する実践的反応を改善してくれるだけだと考えている。人が自分が何者であるかについて深い責任を感じることは、道徳的幻想と精神的苦痛を生み出すだけである。

夏にハンモックで最後の昼寝をしている途中に、聞き慣れない音で目を覚まさせられるところを想像してほしい。目を開けて見ると、大きな熊があなたに向かって突進してくる。問題が起きていることは瞬時に理解できるだろう。この熊を肉切り包丁を持った大男で置き換えてみると、問題はいくつかの興味深い形で変化するが、あなたを襲うものの脳内に、突然自由意志が生じるということはない。

あなたのこの試練を切り抜けた後の経験は―私の考えでは相当に―攻撃者の種によって変わってくるだろう。証人台から自分を殺しかけた男を見るのと、動物園で飛び跳ねている熊を見ることの違いを想像してみてほしい。あなたが多くの犠牲者と同様であれば、その瞬間怒りと憎しみの激しい感情によって、さらなるトラウマを抱えるほど打ちのめされるかもしれない。何年も彼の死を想像し続けることになるかもしれない。だが、動物園での経験は全く異なってくるはずだ。友人や家族を連れて「私はあの動物に殺されかけたんだよ!」と笑い話にすらできるかもしれない。憎悪と、幸運と驚きの感情、どちらの精神状態があなたにとって好ましいだろう?人間の襲撃者には他の選択があった一方で、熊にはそれがなかったという信念が、この違いに大きく関わっていると思われる。

各瞬間の意識的思考、意図、そして試みは無意識的な要因に先行されている。その要因はまた、たとえ悪人であっても責任を負うことが不可能なさらに深い要因―遺伝子や幼少期の経験など―に起因している。それら両方の集合に関する我々の無知が、道徳的幻想を生じさせる。だが多くの人が、特に子育てのプロセスなどにおいて、自由意志の存在を信じる必要があると懸念している。

これはもっともな懸念だと考えられるが、子供(あるいは子供のような大人)にどの事実を伝えるべきかというこの疑問は、我々のあらゆる理解について付きまとうものであると指摘したい。例えば、最近妻と私は3歳の娘を初めて飛行機に乗せた。彼女は非常に喜んだ。彼女が楽しめたのは、私達が飛行機は稀に故障し、墜落して乗客が全員死んでしまうことがあると教えなかったためでもある。ある真実は特に幼い子供の前では語られないことが最善であると考えているのは私だけではないはずだ。そして、私は娘に今の段階でに車を運転することや、銃に弾丸を込める方法を教えないのと同じように、自由意志は幻想であると教えるつもりはない。

つまり、あらゆるものに、適切な時間と場所があるということだ。もちろん、そんな時間も場所もあるべきでないものでない限り。特定の情報が、仮に別の文脈であれば有効あるいは必要なものとなるが、日常生活の中の文脈では混乱や落胆あるいは恐怖しか生み出さないというとき、 我々は皆、子どもの立場に立って考えるだろう。 特定の事実を避けることは完全に理にかなっている。例えば、他に合理的な選択肢がない医療処置を受けなければならない場合、可能性のあるすべての合併症を調べるためインターネット検索をするようなことはしないのをお勧めする。 同様に、あなたが悪夢を見やすかったり、人間の邪悪さを考えて精神的に不安定になりすやい人なら、Machete Seasonを読まないことをお勧めする。 ある種の知識は誰のためにもならないのだ。

しかし、一般的に言えば、私は自由意志の錯覚が醜い真実だとも思わなければ、哲学的抽象のままでなければならないものだとも思わない。 実際、私はこれを書きながら、自分には自由意志がないことを明確に理解している。この知識が何か物事を成し遂げる妨げとなるとは思わない。 私の意識が、常に私の思考、意図、行動の根本的な原因の下流にあることを認識しても、あらゆる類の思考や意図や行動が幸せな生活―あるいは、ついでに言えば不幸せな生活―を送るために必要であるという事実は変わらない。

私の心の中に広がる次の思考が、私が知ることのできない状態に起因して有効になる(あるいはならない)という事実を知ることで、私が著しく傷つくこともないし、むしろそれにより恩恵を受けていると信じている。 人々が心配するマイナスの影響、つまり動機の欠如、虚無主義への飛び込みは、私の人生では明白なことではない。 だが、肯定的な効果は明らかである。自由意志が幻想だと理解して見ることは、悪人に対する憎悪の気持ちを軽減してくれる。もちろん私は未だ憎悪の感情を抱く。だが、人の行動の実際の要因を考えることで、その感情は消滅していく。この重荷を降ろすことは慰めになる。そして、我々全員が共にこの重荷を置いても、失われるものは何もないだろう。むしろ、多くのものが得られるのではないだろうか。私たちは報復について忘れ、害を軽減することだけに専念できるようになるのではないか。(そして、人を罰することが抑止やリハビリにおいて重要であると証明されたなら、刑務所を必要に応じて不快化していけばよい。)

人の行動の真の起因を理解することで、自由意志の伝統的考えの存在する余地はなくなる。しかし、これにより憂鬱になったりダイエットをやめたりするべきではない。 やはり勤勉と知恵は、怠惰や愚かさよりも良い結果を生むのだ。そして、精神的に健康な大人にとって、自由意志の幻想について理解することは、プライドや憎しみなどの対立的感情をこれまでより少し魅力的でないものするはずだ。 自由意志の幻想を捨てることにより、どこかの誰かがより悪い状態に陥ってしまうかもしれないが、全体を考慮すれば、より慈悲深く、公平で平等な社会を作り出すことに導かれるだろうと考えている。

Sam Harris,THE BLOGより
Life Without Free Will 2012/9/9

https://www.samharris.org/blog/item/life-without-free-will

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

Free Will [ Sam Harris ]
価格:1710円(税込、送料無料) (2016/11/12時点)




自由は進化する



You may like:

【認知】『自由意志が存在しないと考えられる科学的根拠』io9 2013/1/14

この記事へのコメント

人気記事