
遺伝子組み換え作物(GMO)は、過去20年間に渡り、市民からの大きな反対にあってきている。多くの人は、GMOは健康に悪く―有毒でさえあり―、環境を破壊すると信じている。これは、GMOは食べても安全であり、農業をより持続可能にすることにより環境上の利点ももたらすと証明している圧倒的な科学的証拠にもかかわらずである。
【生物・健康】『遺伝子組換え食品に対する、迷信的反発は終わりにしないといけない』The Telegraph 2016/5/18
なぜ科学的な事実と人々の理解の間にこのような食い違いがあるのだろうか?確かに、雑草の除草剤耐性や多国籍企業の介入のようないくつかの懸念には根拠がないわけではないが、それらはGMOに固有のものではない。従って、我々が答えるべき次の疑問は、なぜこれらの議論がGMOに関する文脈でより顕著になるのかということである。
私は最近、ゲント大学の哲学者やバイオテクノロジーの専門家のグループと共に、GMOのネガティブな印象の大きな広まりは、人々を直感的に惹きつけるからであるという論文を発表した。正常に働く頭脳には備わっている、主に無意識下で働く直観や感情に侵入することで、このような印象は容易に頭に入りやすくなる。これらは我々の関心を捕え、容易に処理され記憶に残る。そして、そのために伝播される機会が多くなり広く認知されやすくなる。例えそれが事実でなかったとしてもである。よって多くの人たちは、それが脅威となると考えられるというだけの理由でGMOに反対している。
その論文の中で我々は、人々の認識に影響を与えているであろういくつかの直感を特定した。例えば心理学的本質主義は、DNAが生物の「本質」、つまり生物の振る舞いや発達の要因となり、そのアイデンティティを決定する、直接観測することのできない不変な中核であると考えさせる。
ある遺伝子が2つの遠縁な種の間で移動した場合、このプロセスにより元となった生物の特徴が、受け取った生物の中で現れると人は考えてしまう、などのようなことである。例えば、米国での意識調査では、半数以上の人が魚のDNAで改変されたトマトは魚のような味がすると考えていた(もちろんそんなことはない)。
本質主義は明らかにGMOに対する市民の態度においてなんらかの役割を果たしている。人々は一般的に、同種間(「シスジェニック」)に比べ、異なる種の間のDNAの移動(「トランスジェニック」)を伴う遺伝子組換えにより強く反対する。
反GMO団体は、魚の尾の付いたトマトの画像を公表することや、企業はよりサクサクしたシリアルを作るために、サソリのDNAを使ってトウモロコシの組み換えを行ってるなどと語ることで、これらの直感を利用している。
目的や意図に関する直感も、GMOに対する考え方に影響を与えている。それらは我々を、純粋な自然現象もなんらかの存在者によって意図された目的のために起こっているという発想に屈しやすくさせる。
これらの考えは宗教信仰の一部でもある。しかし、世俗的な環境においては、それらは自然を有益なプロセスであるとか、人類が干渉すべきではない我々の福利を守る存在であるという考えに導く。
GMOに反対する文脈で、遺伝子組換えは「不自然」であるとみなされ、バイオテクノロジストたちは「神を弄んでいる」などと非難される。なじみ深い用語「フランケン食品」というのは、思い上がりによって自然の意志に逆らう行いをすると、巨大な災害として我々自身に跳ね返ってくるという考えを捉えている。
不快感もGMOに対する人々の態度に影響している。感情はおそらく、少なくとも部分的には、病原体忌避メカニズムとして、有害なものを口にしたり触れることを避けるために発達した。我々は、体液や腐った肉やウジなどの病原体を含む可能性のあるものや、それを示すものに嫌悪感を感じる。
これにより、嫌悪感が触発的に働く理由が説明できる:汚染されているという誤った認識によって、安全な食物を食べないで済ます方が、食べると病気を起こしたり致死的となるものを、誤って安全と考え消費するよりもマシなのだ。このため、嫌悪感は完全に無害な食物によっても誘発されえる。
人が遺伝子組換えを一種の汚染として見るがために、GMOは嫌悪感の引き金を引く。この効果は一般的に不快であると考えられているラットやゴキブリのような種のDNAを導入するときより強くなる。しかし由来がなんであれ、DNAはDNAなのだ。
嫌悪感の影響は、なぜ人はGM薬品のような他のGM技術の応用より、GM食品に強く反対を示すのかも説明してくれる。ひとたび嫌悪感が誘発されると、GMOはガンや不妊の原因となるとか、環境を汚染するなどの主張がもっともらしく聞こえ、より頻繁になされるようになる。
嫌悪感は道徳的判断にも影響を与え、GM製品の開発や商業に関わる人々を非難するようにも導く。人は判断の元となる感情への意識的なアクセスを持っていないため、後からそれらを理性化する主張を探すことになるためだ。
我々の認知解析は、すべての反GMO的主張を反証することをアプリオリに意図したものではない。特定のGM応用は、オーガニック製品や従来の農業にも当てはまりうる、望まない効果を持っているかもしれない。
リスクと利益は、プロセスに関わらず個別に評価されなければならない。現在までの応用は安全であると証明されている。多国籍企業の関与や除草剤耐性に関して異を唱えるかもしれないが、これらの問題はどのようにGM技術が応用されるかに関する問題であり、その技術やGMO一般に対して反対する正当な理由とはならない。
しかし、感情や直感を基礎にした反GMO感情は、これらの区別を阻害してしまう。GMOに対する理解や態度における直感と感情の影響は、科学教育や科学コミュニケーションに対する重要な意味を含意している。
思考は、より直感的な信念のために科学的な情報を歪めたり拒絶したりする傾向にあるため、感情的な反GMOプロパガンダに屈している人々には、単純に事実を伝えるだけでは必ずしもGMOの安全性や利益について理解させることはできない。
長い目で見れば、一般的な誤った考えに対処することに特に焦点を当てた若い年齢からの教育は、根拠のないGMメッセージに対する免疫を与えるかもしれない。他の懸念も、農業規範や社会における科学とテクノロジーの位置付けの文脈において扱われ、議論されえるかもしれない。しかし、現在において、状況を転換し、GMOに対するよりポジティブな反応を生み出すには、同じく人々の直感に付けこむことが最善の方法だ。
ほんの数例を挙げれば、農薬耐性作物は耕す程度が少なく済むか全く必要ないため土壌構造の改善につながることや、途上国の農家の収入の向上や、ビタミンA不足の減少への貢献、ウィルスや干ばつへの耐性など、現在のものや将来のGMOの利益を強調することによって、人々の考えを変える最も有効なアプローチを構成するかもしれない。
GMテクノロジーの利益と確実性を考えれば、このような変化が必要なのだ。
http://www.scientificamerican.com/article/why-people-oppose-gmos-even-though-science-says-they-are-safe/
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